こんにちは、岩佐孝彦@税理士法人トップ財務プロジェクトです。
2016年は公私ともに、男の勝負の一年になりそうです。(笑)
仕事では、JR大阪駅前のオフィスをオープン。
プライベートでは、息子が中三の受験生。
そこで、男の勝負哲学を学ぶために、本日の一冊はコチラ!
『五輪書』宮本武蔵、鎌田茂雄訳注(講談社)
それでは、本日の赤ペンチェックをみてみましょう。
▼武蔵の全生涯は仏神に頼ったことはなかった。全力を出しきった自己にのみ
頼ったのであって、絶対者にお願いすることも頼ったこともなかった。
それなのに仏前に向かって「五輪書」を書こうとしたのは何故か。それは天や観音
を拝むことは、自らが無心になることである。自らの真実の証として自分の通った
兵法の道理をここに書きとめようとしたのである。
▼武士が武芸をたしなむのはどんなこと、どんな場合においても人に勝つことを
根本とするからである。武士の兵法においては敗けることは許されない。敗ける
ことはそのまま死に直結する。死と生が紙一皮において対しているのが武士の戦い
である。だからこそ、どんな場合においても絶対に勝たなければならない。理由の
いかんを問わず勝たなければならないのである。
▼人に勝つことは己に勝つことである。それに勝つことは己の欲心を無にすること
である。真に勝つことを極めるのは人生の至極の道理に挑戦することなのである。
これに挑戦することを志した者は、まず一日の初めに端坐正念し、今日一日を勝ち
抜くための精神の構えをしっかりと確立する必要がある。見えざる敵に対して
はっしと打つ気魂をまず朝の精神の構えとする必要がある。
▼兵法を5つの道に分け、地・水・火・風・空の五巻として書き記している。
地の巻 … 兵法の道のあらまし。剣術だけをやっていては、本当の剣術だけを
やっていては、本当の剣の道を得ることができない。大きいところから小さいところ
を知り、浅いところから深いところに至る。
水の巻 … 水を手本とし、心を水のようにするのである。水というのは、四角な
容器にも丸い容器にも従って形を変えたり、一滴となったり、大海ともなる。
火の巻 … 戦いのことを書く。火は大きくなったり小さくなったり、際立った勢い
をもっているので、それになぞらえて戦いのことを書くのである。
風の巻 … 他をよく知らなければ、自己をはっきり知ることはできない。何事にも
外道というものがある。
空の巻 … 空というから奥もなく入口もない。道理を体得しては、それにこだわる
ことなく、兵法の道は本来、自由であって、自然と人並み優れた力量が備わり、時期到来
してその拍子を知り、自然に相対する。形にはまって形にとらわれないことである。
▼兵法の道においては、心の持ち方は平常心と変わってはならない。平常も、戦いの際も、
少しも変わることなく、心を広く、まっすぐにい、緊張しすぎることなく少しもたるむ
ことなく、少しもたるむことなく、心が偏らないように心を真ん中に置き、心を流動自在
な状態に保ち、その流れが一瞬も止まらぬように、よくよく注意しなければならない。
外見は弱くとも、本心は強く、本心を他人に見抜かれないようにする。
兵法において技が決まるのは、無心の時でなければならない。無心というと、一切心が
ないわけではない。平常心を保つことが無心なのである。
動転した心、怒った心、勝負を争う心でやれば、兵法は失敗する。
▼「遠き所を近く見、近き所を遠く見る事」である。遠い離れたところもはっきりと見る
習練をしなければならない。近いところの敵の動きにだけ気がとらわれていると遠いところ
は見えなくなる。見の目ではだめで、観の目が必要な所以となる。
▼場とりの良否を見分けることが大切である。位置を占めるのに、太陽を背にするという
ことがある。太陽を後ろに置いて構えるのである。もし、その場所によって、太陽を後ろ
にすることができないようなときは、太陽を右のわきに置くようにせよ。
敵を見下すといって、そこ誌でも高いところで構えるように心得よ。
座敷においては上座を高いところと思わなければならない。
どのようなときにも、敵を追いかけるのに、足場の悪いところ、あるいはそばに障害物
のあるところなど、すべてその位置の優位さを活かして、場所の上で勝利を得るということ
が大切なのであ。
▼「景気を見る」というのは、大勢の戦いにあっては、敵の意気がさかんか、あるいは衰えて
いるかを知り、相手の人数のことを知り、その場の状況に応じて、敵の状態をよく見て、こちら
の人数をどう動かし、この兵法を使うことによって、確実に勝てるというところを呑みこみ、
先の状況を見通して戦うことをいうのである。
▼兵法勝負の道にあっては、相手の構えを動揺させ、敵の思いもよらぬことをしかけ、
敵をうろたえさせ、むかつかせ、おびやかして、敵が混乱して拍子が狂ったところに
乗じて勝を得るのであるから、構えなどという後手の態度をきらうのである。
▼人に先手をしかけられたとき、自分からしかけたときには、戦いの有利不利は倍も
違うものである。太刀をよく構え、敵の太刀をよく受け、よくはじいたと思っても、
所詮、受け身というものは、槍や長太刀のような長いものを持っても、防御にこしらえた
棚木越しに振っているのと同じことで、本当に敵を打つことはできない。
いやあ、深い言葉の数々…(汗) この境地に達するのは並大抵のことではありません。
宮本武蔵様、恐れ入りました!
今日も社長業を楽しみましょう。