こんにちは、JR大阪駅前のTFPグループの
税理士法人トップ財務プロジェクト代表の岩佐孝彦@税理士です。
GW前半の昨日卒業後初めて、
母校の大阪市立大学商学部棟に行ってきました。
目的はズバリ、五代友厚氏の銅像です。
大阪経済の父と言われる五代氏の銅像は、大阪市内に3体あります。
▼大阪証券取引所 … 1878年設立
▼大阪商工会議所 … 同年設立
▼大阪市立大学商学部棟 … 1879年設立
薩摩藩出身でありながら、大阪経済発展のために尽力された。
そんな人物でいらっしゃいます。
1868年には、大久保利通と木戸孝允とともに、
大阪遷都計画を打ち上げます。
しかし、公家、京都市民の猛反対を受け、遷都しなくても、
衰退の心配のない大阪から江戸に決定したとか。
五代氏は近代国家建設のためには、商業学校の存在は
必須と考えていました。
同じ薩摩藩出身の政治家・森有礼氏が、
1875年に東京商法講習所(現一橋大学)を開設。
五代氏はその4年後に大阪商業講習所(現大阪市立大学)を開設。
私も学生時代、旧三商大戦(一橋・神戸・大阪市立)での
ゼミ討論会に参加しましたが、一橋大生の相手に玉砕…(苦笑)
彼らは本当に優秀でした。学生時代の苦い思い出です。
彼らのようなエリートとご一緒でき、当時は身に余る光栄でした。
(笑)
私が何故このタイミングで、母校の五代氏の銅像に行ったのか?
それは、5月16日に大阪市の中小企業支援機関である、
大阪産業創造館にてセミナー講師を務めるからです。
御蔭様で定員50名のところ、80名のお申込みに達し、
満員御礼のキャンセル待ちになっています。
お申込み頂いた方には厚く御礼申し上げます。
当日は、大阪経済の発展のために大阪の中小企業が助成金を
少しでも多く獲得できるように、魂込めてお話ししたい。
そんな思いを込めて、五代氏の銅像に手を当て、
ハンドパワーでエネルギーを拝受しました。
五代氏は、外国商人の不正にも厳格な態度で臨まれました。
当時の大阪では、日本人の無知につけこんだ外国商人の不正行為が
後を絶ちませんでした。
条約違反、購入料金の不払い、雇い人への賃金不払いは日常茶飯事
で、領事館の家賃不払いまでも平気で行われていたとか。
五代氏はこのような不正に対し、断固たる態度で臨み、
一切の妥協を拒みました。
大阪港では外国船の荷物検査があまりにも厳しいという抗議が
政府まで届き、政府が取り締まり緩和勧告を出すほどの騒動に
発展しても、五代氏は外国商人の要求の真意が不正行為が
できなくなることを見抜き、全く動じなかったそうです。
商売人にとって『信用』は最も大切であり、
不正を容認することは信用を失うことにつながる。
そんな信念があったとか。
今日の大阪経済があるのも、五代氏の御蔭かもしれません。
母校の前身の大阪商業講習所では、簿記学は必須で毎日2時間
のカリキュラムが組まれ、算術や英語など他の科目より、
重点を置いて学生を教育したとか。
私も在学当時は、税理士試験科目の財務諸表論の試験委員を
お務めになられた山形休司教授のものとで、
簿記学や会計学を学びました。
そして今日、税理士として日々、簿記の仕訳にふれる仕事に
従事しています。
そう考えると、五代友厚氏の理念は私の原点です。
弊社の大阪駅前のオフィスから車で南で30分ほどのところ
にある母校のキャンパスに行けて、有意義なGWとなりました。
5月16日の大阪産業創造館のセミナー講師のミッションは、
五代友厚氏の理念を胸に、大阪経済発展のために全力を尽くす。
そんな所存です。
今日も社長業を楽しみましょう。