こんにちは、大阪駅前の税理士法人トップ財務プロジェクトの岩佐孝彦です。
今日の一冊はコチラ!
『鋼のメンタル』百田尚樹(新潮新書)
今話題の書らしく、先日東京出張時の書店で大きく展開されていました。
私たち税理士の業界も世間のビジネス社会同様、最後は気合いと根性です。(笑)
とても面白く読むことができました。
それでは本日の赤ペンチェックを見てみましょう。
▼世間の人からは鋼のメンタルの持ち主のように見えるようですが、実は
そこまで強い精神力など持っているわけではありません。
ささいなことで悩んだり、くよくよしたりはしょっちゅうです。
▼ただ、図太さだけは少し自信があります。
とはいえ、生まれた時から図太かったわけではありません。
小さい頃はどこにでもいる普通の弱い男の子でした。
▼実はメンタルは鍛えられるものなのです。
▼「ゆとり教育」の弱点を見た気がしました。
子供たちに順位を付けず、闘争心も敗北も痛みも教えない教育は、実はすごく
脆い人間を作っているのではないかと思ったのです。
「ゆとり教育」のもとで一切の競争も戦いもない公立小学校が「動物たちの楽園」
だとすれば、進学塾は「弱肉強食の世界」です。
そんな世界で「負けること」は辛いことです。自尊心は傷つき、打ちひしがれる
ことになります。特に幼い子供にとっては残酷な体験です。
しかし精神力というものは敗北によって鍛えられます。
▼精神力を鍛えるという意味において、受験勉強にはある種の効果があると、
私は思っています。
▼一つは、「楽しいことを我慢して、やらねばならない(と決めた)ことを
やる精神力が身に付く」ということ。
もう一つは、「挫折を知る」ということです。
▼敗北の痛みに耐える、屈辱感に耐える ― こうしたことが、その人の
精神力を鍛えているのです。
実は受験に失敗した程度のことは、長い人生ではどうということはありません。
人生にはもっと大きな試練や壁が待っています。受験失敗以上に大きな挫折を
味わうかもしれません。そうしたときにものを言うのが精神力です。
▼国内における受験ヒエラルキーの最高峰は東京大学です。
その東大文Ⅰには全国の文系受験者の選りすぐりが集まります。
その中でもさらに優秀な学生は、超難関国家公務員試験に合格しますが、
その合格者の上位者だけが財務省に入省できます。
噂では、財務省に入るにはベスト20に入っていなければ難しいと言われてい
ますが、次官クラスに出世できるのはベスト10以内の者とも言われています。
私のような劣等生には想像もつかない世界です。
つまり財務官僚とは日本で一番勉強ができる者たちの集団です。
敢えて言うならば、「挫折」など一度も味わったことのない者たちの集まりです。
そんな超エリートが集まる財務省ですが、前身の大蔵省時代から日本でも有数
の自殺率の高い職場として知られています。
財務省は入ってからも恐ろしいまでの競争社会なのです。その過酷さは民間企業
の比ではないと言われています。
また仕事も激務です。そして三十歳くらいから、片道切符でどんどん出向させ
られていきます。もちろん出向させられるのは出世競争に敗れた者たちです。
皆さん、想像してみてください。子供のころから一度たりとも競争で負けたこと
がなく、挫折など味わったことのない者が、大人になって、初めて致命的な敗北
を味わった時の絶望感を。
▼十中八九負けるだろうなと予想したり、負けた時のダメージはきついかもしれ
ないと思うと、とっとと逃げます。戦っても得なことは何もないからです。
自慢じゃありませんが、私は逃げ足には自信があります。
▼打たれ強さやスタミナは鍛えられますが、それには限界があります。
筋肉も限界を超えて酷使すると潰れるように、精神力も限界を超えて酷使する
(耐える)と潰れます。
耐えることや我慢することも大切ですが、自分の限界を見極めることも重要です。
これ以上、耐えると潰れるというラインを自分でわかることは不可欠です。
これは慣れで習得するしかありません。
▼今の日本ほど恵まれた国は滅多にありません。
経済力、治安状態、医療体制は世界トップクラス、携帯電話や自動車の所有率も
群を抜いて高く、もちろん飢餓などとは無縁の国です。
平均寿命は世界一です。他国から見てもこれほど羨ましい国はないでしょう。
発展途上国から見れば、まるで天国のような国に見えるはずです。
ところが、国連の『世界幸福度報告書』(2016年度版)によれば、日本人の
「幸福度」は世界157ヵ国中、53位。
国民の多くが貧困にあえぐベネズエラやニカラグアやウズベキスタンよりも下位
なのです。
日本人はこんなに素晴らしい環境に暮らしていて、自分を少しも幸福と思って
いないのです。
これは結局のところ、私たちが自分の幸福を常に他人と比べてばかりいるからに
ほかなりません。
そろそろ、そういうことはやめにしませんか。
幸福の基準を自分で持とうではありませんか。
▼口論の上手い人間は二つのタイプに分かれます。
ボクサーに喩えると、攻撃的に前に出てパンチを繰り出すタイプと、相手にパンチを
出させてカウンターを放つタイプです。
▼口論の上手いもうひとつのタイプを同じくボクサーに喩えると、相手に好きな
だけ打たせておいて(喋らせておいて)、その弱点をカウンターで突くというもの
です。
口論で頭に血が上った相手はたいてい発言の論理にどこか穴があります。
カウンターパンチの上手い男はそこを冷静に見つけて、「お前の言っていること
には整合性がない」と指摘するのです。
▼口論で相手を言い負かせば、必ず恨みを買います。
相手はどこかで仕返しをしてやろうと心にどす黒い思いを持ちます。
▼口論になれば、一歩引けばいいのです。
繰り返しますが、他人と口論しても、何の益もありません。
ただ、それが自分の生き方の本質に関わることや仕事に関わることなら、そういう
わけにはいきません。その時は堂々と自分の考えを述べればいいのです。
▼相手の挑発に乗る必要もなければ、質問に答える義務もありません。
自分が正しいと思うことを堂々と述べればいいのです。
▼私は「親子は一世、夫婦は二世」という言葉が好きです。
「親子の関係は現世の間だけだが、夫婦の関係は来世までも続く」という意味の
言葉です。
血のつながった親子の関係よりも、血がつながらない関係である夫婦の方が
結びつきが強いというのはすごく深い言葉のように思います。
ちなみに前述の言葉は「主従は三世」と続くわけですが、これは無視しましょう。
そんなものは江戸時代の封建時代にくっつけた言葉です。
今日も社長業を楽しみましょう。