こんにちは、大阪駅前の税理士法人トップ財務プロジェクトの岩佐孝彦です。
今日の一冊はこちら。
『帳簿の世界史』ジェイコブ・ソール(村井章子:翻訳)(文藝春秋)
それでは本日の赤ペンチェックを見てみましょう。
▼会計責任とは、他人の財貨の管理・運用を委託された者がその結果を
報告・説明し、委託者の承認を得る責任を意味する。
▼よい会計は悪いことが起きたときに真実を教えてくれるが、ルイ14世は
都合の悪いことは見て見ぬ振りをしたくなったらしい。
あの有名な「朕は国家なり」という言葉は、本心だったのだろう。
▼国家の繁栄は会計によって決まる
会計責任を果たすことがいかにむずかしいかを知るために、700年におよぶ
財務会計の歴史をたどる。
会計は、企業の経営者や一国の指導者が現状を把握し、対策を立てるのに役立つ。
その一方で、会計がきちんとしていなければ、破綻に拍車をかけることになる。
▼繁栄する社会では、よい会計慣行や商業文化が根付いていただけでなく、
それを支える健全な倫理観や文化の枠組みが存在し、会計を無視したり操作
したり怠ったりしがちな人間の性癖をうまく抑えていた。
▼なぜルイ16世は断頭台へ送られたのか
最初に会計システムを開発し、財政と政治の責任を明確化したのは、繁栄する
商業国家だった。イタリアのジェノヴァ共和国では、はやくも1340年には市政庁
の執務室で大型の帳簿がつけられており、複式簿記で財政を記録していた。
厳正な会計はよき事業のみならず、よき統治に欠かせない。
▼君主にとって会計の透明性は危険だったし、たしかにそれも一理ある。
▼王家の財政の公表は、君主制の至上命令である秘密主義に反するという
理由からだった。
▼王家の収支と王国の危機的財政が財務長官ネッケルの手によって
初めて白日の下にさらされたとき、ルイ16世の神秘性は剥ぎ取られた。
のちに王が断頭台送りになったのは、このことにも一因がある。
▼会計の歴史を調べれば、組織や社会の浮き沈みを解明できると考えられる。
メディチ銀行、オランダ東インド会社、大英帝国は栄華を誇ったが、いまは
もう存在しない。つまり、繁栄ののちに衰退したのであり、会計はどのストー
リーでも重要な役回りを演じてきた。
▼マルクスやウェーバーは会計をどう見ていたか
複式簿記なしには近代的な資本主義は成り立たないし、近代国家も存続できない。
複式簿記は、損益を計算し、財政を管理する基本的なツールである。
複式簿記では、現金の増減だけでなく、それに伴う資産の価値も表すことができる。
▼「創造的破壊」で名高い政治学者のジョセフ・シュンペーターは、会計を資本主義
の支柱と位置付け、経済学者が会計にあまり注意を払わないことを嘆いている。
▼見落されてきた複式簿記の重要性
しかし彼らが見落していたことがある。それは、政治の安定は会計責任が果たされる
土壌にのみ実現すること、それはひとえに複式簿記に懸っているということである。
複式簿記は利益の計算に威力を発揮するだけではない。
▼古代アテネでは帳簿操作がはびこっていた
不正はある程度までやむを得ないとして容認され、むしろ厳格な監査はいたずら
に平穏を乱すとみなされた。歴史家のポリュビオスは、国家が監査官を10人雇って
公的監査を徹底したところで、人間が正直になるわけでなはい、頭のいい人間は
必ず帳簿を操作する、と示唆している。
▼アテネと同じくローマでも国家の会計はかなり杜撰で、不正が絶えなかった。
▼刺客を放ってキケロを暗殺し、その首と手を広場に晒したのである。
このぞましい出来事は、普遍の教訓を残酷に物語っている — 権力者に帳簿の公開
を迫ったら報復されるだけだ。
だが結局アントニウスは不正の報いを受けることになる。
▼巨万の富を築いたトスカーナ商人・ダティーニ
ダティーニの帳簿の数と広範な内容には圧倒される。これだけの帳簿を維持する
には、強固な意志と経営規律が必要だ。ダティーニはワインや豪華な衣装や
狩猟や女奴隷を楽しむ一方で、じつに熱心に几帳面に仕事をした。
部下の管理職の一人に宛てて、昼夜を分たず自分の仕事のことを考えよ、つねに
メモをとれ、心覚えとして帳簿をつけよ、と手紙を書いている。
自分の家が没落したり、自分の事業が破綻したりするのは、ダティーニに
とって悪夢である。この重圧は「耐えがたい」と心情を吐露した手紙も残って
いる。
事業を完全に掌握するために帳簿の整備は必要不可欠であり、彼は会計係に
ただ任せるのではなく、厳罰をもって臨んだ。
現金を実際に受け取る前に記帳してしまうといった「違反行為」は、1ソルド
の罰金である。
この罰には悔い改めさせるという宗教的な意味合いもあった。
これは「神聖な規則」だとダティーニは日記に書いている。たしかに、罰金は
効き目があったらしい。
▼快楽の追求と鉄の職業倫理
ダティーニの帳簿に目を通すと、近代的な会計と情報時代の誕生を実感できる。
われらがダティーニは、女奴隷を愛し、狩猟を好み、贅沢な衣装を身に着けていた。
それでも彼の帳簿は、西欧の初期の資本主義的職業倫理が、国際的な貿易を展開し、
キリスト教を信仰し聖人を愛し、コンスタンティノーブルとオスマントルコの影響
を受けたイタリアの商業世界で育ったことを教えてくれる。
イタリア人は共同出資方式や銀行や複式簿記といった複雑な仕組みを発明したが、
これらはどれも鉄の職業倫理を必要とする。
▼ルールは単純明 — とにかくすべてを誠実に帳簿に記帳すること、まちがいなく
集計すること、それだけである。もう1つ付け加えるなら、つねに心配し、つねに
注意しなければならない。
▼不安がダティーニを仕事へと駆り立てた。そしてきちんと帳簿をつけることで、
万事が秩序正しく保たれ、心の平安が得られた。
▼几帳面なダティーニは、複式簿記を励行している商人がほとんどいないことに
いつも驚いていた。ダティーニと取引のある商人なら、彼の帳簿を目にしていた
と想像される。
▼聖マタイが残した矛盾したメッセージ
正直者はきちんと誠実に帳簿をつけ、浪費を避けよと説く一方で、富は悪だと
決めつけ、その誘惑を断てと教えているのだ。
▼最後の審判に見る「心の会計」
神は言わば帳簿をつけていて、天国へ行く者と地獄へ堕ちる者との最後の
審判を下す。
▼とりわけフィレンツェでは、ダンテやボッカチオといった文豪が、人生の
儚さ、不完全で罪深い人間が払わねばばらない代償といったテーマを不朽の
名作に残した。人間は地獄へ落とされ、天国にたどり着くには煉獄山を登り、
犯した罪を浄めなければならない。
▼免罪符という発想
14世紀になる頃には、信心と善行と罪は、帳簿よろしく消し込むことが可能
になる。神に対して償わなければならない負い目について、教会が神の帳簿
の収支尻を変える方便を考案したからだ。
▼善行の代わりに金で埋め合わせることが可能になった。教会は、精神性の
源泉でもあるが、外交組織でもあり、そしてマネーマシンにもなったのである。
信心深い人ほど自分の犯した罪に見合う金額を持参して次々にやって来るため、
教皇庁の大広間には大勢の会計係が陣取っていたという。
ダティーニももちろん払った。さらに善行もしたし、貧者に寄付もした。
こうして自分の富と利益を心の会計とうまく釣り合わせようとした。
▼心の会計の借方と貸方と差引残高は、救済を得るために欠かせない。
▼自己の行為に対する責任の意識を人々に呼び覚ましたのは、神に対する
負い目という観念と審判に対する恐れだったと考えられる。
▼ダティーニの帳簿の収支尻がつねに黒字であることは、神に対する負い目は
増える一方であることを意味した。つまり帳簿は、利益を示すと同時に、罪の
償いとして神に払うべきものを示していたと言える。
「私は、およそ人間が犯しうる限りの罪という罪を犯してきた。自制ができず、
欲望を抑える術を知らなかった……だから、この償いは喜んでするつもりだ」。
▼いよいよ死を迎えるその日、ダティーニはなぜ死ななければならないのかと
考えたらしい。それなりに信心もしたし神に気前よくあれこれ捧げたというのに、
会計の達人としては、これでは帳尻が合わないと感じたのかもしれない。
▼一世代ですべてを失ったメディチ家
そして会計にも、事業経営を助ける一方で罠にもなりうるという二面性が備わ
っている。メディチ家の歴史を知り、この名家とフィレンツェとの力関係や
金融と文化に与えた絶大な影響をたどっていくと、このことがよく理解できる
だろう。ここフィレンツェの地でメディチ家は金融の力を誇示し、そして
会計をないがしろにする誘惑に屈した。
▼彼らはほとんどすべてを失ってしまう。
単に会計が杜撰だったからでなはい。後継者にとって会計が必須の知識である
ことを忘れてしまったのだ。
その結果、メディチ家の権力には、銀行業の裏付けがなくなった。この変化は
必ずしも自ら選択したわけではないが、メディチ家自身が銀行を破綻させた
ことは事実である。
▼コジモの父は巨万の富を築き、ダティーニを上回る11万3000フロリンの遺産
を残した。
コジモの父はメディチ家を富裕にし、それを受け継いだコジモは銀行を一大国家
事業に発展させて、当時のヨーロッパで最高の富豪になった。
▼フィレンツェのあるトスカーナ地方は識字率がきわめて高く、商人の多くは
帳簿をつけることを通じて読み書きの能力を身につけた。
▼コジモはフィレンツェに恐怖をもたらした
これが地方で身を立てたダティーニと、銀行家一族の御曹司だったコジモの
大きな違いである。
コジモは抜け目なく用心深く権力の階段を上っていった、とマキアヴェッリ
は正確に描写している。だが彼は金を使って共和国の自由を損なう行為にも
およんだ。
▼美男すぎる男や豪華な服に目のない男は要注意だ。金を扱うのだから
危なっかしい人間は困るというわけで、コジモは人間性を厳しく見きわめ、
不正の兆候を見逃さなかった。
▼芸術のパトロンとしても活躍
コジモ自身の財産は、メディチ家および銀行の資産とほぼ同義語と言っても
よいのであるが、ともかく莫大であり、推測することしかできない。
1427年に定められた法律により、フィレンツェの土地所有者および商人には
国の税務監査を受けるために複式簿記の維持が義務付けられ、監査記録は
今日まで保存されている。
ダティーニもそうだったように、賢い商人は必ず帳簿を2冊つけた。
自分だけが見る秘密帳簿と、監査用のもっともらしい公式帳簿である。
▼商業教育の基本は帳簿であり、コジモのようにのちに経営者となるエリート
は若いうちに習得していた。家族経営の事業では、若い後継者は系列の店や
外国の支店で実地に学ぶ。
簿記は、経験を通じてしか身につかない。そこでフォレンツェでは、会計の
ゆたかな伝統を育てるべく、商業と簿記に関する法律を定めていた。
このように会計は、文化と法律の両方に根付いていたのである。
商人は信用状や手形を写したり書いたりすることから、帳簿をつけることに
至るまで、商売のイロハを実地に学んだ。
▼年度末に赤字になったり何か不備があったりすれば、支配人はフィレンツェに
呼び出される。
たとえば、ブリュージュ支店の総支配人トマソ・ポルティナリは、フィレンツェ
のメディチ家の居館であるリッカルディ宮に呼びつけられ、コジモとベンチの
前に立たされ、二人が一行一行帳簿を調べながら浴びせかける鋭い質問に答え
なければならなかった。
▼ルネサンスの開花を促す資金の捻出にも役立った会計は、次第に重んじられ
なくなり、それどころか下品で不道徳な習慣とさえみなされるようになっていく。
▼後の世代に受け継がれなかった会計文化
コジモは息子たちの将来に野望を抱くようになった。
おそらくは新プラトン主義に染まりすぎたせいで、あるいは自分の家系を王族の
ようにみなす驕りから、あるいは非現実的な自信過剰から、彼は息子たち全員に
は会計を教えなかった。この判断はメディチ銀行のみならず、フィレンツェその
ものの弱体化につながっていくとになる。
▼しかしジョヴァンニは享楽的なタイプで、帳簿のつけ方は知っていても、厳格に
帳簿を維持する几帳面さや規律に欠けていた。
▼サセッティは経験豊富な総支配人であり会計のエキスパートでもあるのだから、
帳簿にはっきりと表れていた危険な兆候に気づいていなければならなかった。
▼アダム・スミスが指摘したとおり、個人的な栄光を健全な事業運営より
優先する王族貴族は、よき銀行家にはなれないのである。
▼当代一流の銀行家だった老コジモは、新プラトン主義への傾向がその後
数百年にわたって会計と責任の文化を損なうことになろうとは、想像もできな
かったにちがいない。
だが実際には、彼が残した遺産の中で、この影響は最も強く最もしぶとかった
のである。
▼なぜ世界初の複式簿記の教科書は無視されたのか
16世紀に入ると、多くの国が騎士道精神を掲げる絶対君主を戴くようになり、
会計は身分の低い商人の技術であるとして次第にさげすまれるようになって
いったためである。
こうした背景から、強国の王でさえ、国家の財政を任せられる有能な会計専門家
をなかなか見つけられなくなった。
会計に対するこうのような偏見が、スペイン帝国の度重なる破綻の一因だったと
考えられる。
▼パチョーリは「会計の父」と呼ばれ、『スマム』は今日でも会計学の基礎と
されている。
パチョーリはトスカーナ生まれで、幾何学と代数学に精通し、かつ新プラント
主義に親しんでいた。この点では老コジモと同じ世界に生きたと言えよう。
▼パチョーリは幸運にも、会計の価値を認めてくれる人文主義者や政治指導者
に恵まれていた。
パチョーリは『スマム』の中でウェルギリウス、聖パウロ、マタイ、ダンテなどを
引用し、会計をまじめに励行する几帳面で慈悲心の篤い勤勉な者を神は認めて
くださると説いている。
きちんと帳簿をつけることは善の行いであり、勤勉、会計、利益は徳であるとの
世界観である。
▼メディチ家が破ってしまったルール
『スムマ』には資産と負債をつねに把握するための方法が説明されているが、
これは現代の資本主義においても欠かせない知識である。
商人は会計の第一歩として資産の棚卸しを行い、財産目録(bilancio)を作成
しなければならない。
家屋敷、土地から、宝石類、現金、家具、銀器、リネン類、毛皮類から香辛料
その他商品に至るまで、すべて書き出す。これが財産目録である。
あとは、支出と収入を毎日帳簿につけていけばよい。
帳簿は財産目録のほかに、日記帳(memoriale)、仕訳帳(giornale)、そして
元帳(quaderno)が必要とされた。
▼経営者は支配人の監査をしなければならない。
▼会計が社会に貢献することをパチョーリは願っており、『スマム』の第一章
では商人の心得を説いている。
「共和国を支えるのは商人である」とし、「法学博士を育てるよりよき商人を
つくるほうがむずかしい」と戒めた。
共和国の浮沈を握っているのは商人だとパチョーリは考えていた。商人には金銭感覚
と計算能力があり、繁栄を利する術も、戦争、飢饉、疫病を乗り越える術も知って
いる。共和国に必要なのは、教育水準が高く、己を律することができ、高い職業
倫理を備えた商人である、そうした商人は事業経営においても政府においても
役にたつ — これがパチョリーニの持論だった。
とはいえ、会計に向き不向きがあることは、パチョリーニも認めていた。
怠慢でいい加減な人間は災厄を引き起こしかねない。
会計の規律は、共和国市民としての責任を果たすうえで欠かすことができない。
▼実業家はつねに自分の事業のことを考え、クリーンな帳簿をつけていれば、
税金も監査も恐るるに足らない。
▼商人の中には帳簿つけに向かない者もいる。何よりも大切なのは規律であり、
何一つ記入漏れがあってはならない。商談の内容も帳簿の欄外にメモして
おくべきであり、「商人は克明すぎるということはない」とパリョーリは
常々言っていた。
まして不正は大問題である。商人にとって、帳簿を二つつけることはかんたん
なことである。
▼さらにひどのは、帳簿が正しいと神に誓いながら、嘘を記入することだ。
会計担当者でさえ、ひんぱんに、それどころか組織的に、秘密帳簿をつけ、
徴税官の目から実態を隠した。ダティーニもコジモもそうしていた。
パチョーリは、帳簿をつける者はイエスの名を思い出すように、と忠告する。
「あらゆる取引はイエスの名の下に行うべき」であり、そのために帳簿には
十字の印を入れておくとよいという。
「神と利益の名において」は、そもそも公明正大とごまかしの両方に与して
いると言わざるを得ない。
▼宮廷人は思慮深く自分の感情と動機を隠し、意見を述べる前に熟考し、追従と
権力の世界を巧みに渡っていかなければらない。
さらに『宮廷人』で特徴的なのは、ノンシャランスを提唱したことである。
これは無頓着、無関心、投げやりというほどの意味で、何も努力せずとも
何でもできてしまうという貴族的な幻想の表れと言ってよい。
このような幻想は、几帳面な日々の簿記・会計に必要とされる職業倫理や、
計算や監査に要する蓄積と真っ向から対立する。
数字を確かめては記録する終わりのない作業のどこにも、ノンシャランスの
入り込む余地はない。
▼ウォールポールは、「どんな人間でも金で動く」という有名な発言で
応酬した。
▼このツールは、繁栄を約束し破綻から救ってくれる手段として尊敬
されていたが、人生が往々にしてそうであるように、浪費され、粗末に
扱われていた。
▼リーズで成功を収めた仕立て屋で非国教徒のジョセフ・ライダーは、
1739年の日記に、「人間を合理的な被造物としてくださった神の善」を
称えるために日記や帳簿をつけるのだと書き記している。
富は信心と几帳面な会計の産物とみなされた。
心の会計を日記に、財務を帳簿につけるのは、カトリック教徒だった
350年前の北イタリアのダティーニと同じだが、ライダーがダティーニと
ちがうのは、金儲けに後ろめたさを感じていなかったことである。
▼数学者で会計学者のウォルドー・トンプソンによる『会計士の知恵』
(1777年)がある。
会計なしには経営者は悪く言えば「当てずっぽう」、よく言っても「推測」しか
できないと強調している。
産業革命がはなばなしく進行する中、会計と経営は15世紀からさしたる進歩がなく、
今日ではあたりまえの原価計算でさえ行われていなかった。
定期的な決算の対象になるのは、原料、機械、賃金、配当といった目につく
ものに限られており、監査はほどんど行われていなかった。
▼フランクリンの帳簿を見ると、生活のあらゆる面を会計の原則に従って
管理していたことがわかる。
分散する興味を結びつけるものが会計だったと言えよう。
▼女性はみんな会計を教わるべきだと主張した。
家業を助けられるし、子どもにも教えられる、そうすれば「その家は富裕
になり、長らく優位を保つことができる」という。
▼フランクリンにとって、会計は生活の秩序を確立する重要な手段だった。
▼縦の列には曜日を書き入れて毎日この「帳簿」をつけ、徳を達成できなかった
曜日には黒丸を書き込んだ。神の審判に備えて、会計の手法を通じて用心深く
心深い行いを正したのだった。
▼ディケンズの父親は会計士だった
いますぐ生き方を変え、パチョーリの教えに従ってよき商人となり、
クリスマスには善行で帳尻を合わせなければならない。
今日も社長業を楽しみましょう。