こんにちは、大阪駅前の税理士法人トップ財務プロジェクトの岩佐孝彦です。
今日の一冊はコチラです。
『「理」と「情」の間 大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』
磯山友幸(日経BP社)
これは良書で、60歳以上の経営者に必須の書籍だと思います。
なぜ、60歳以上なのか?
孫正義氏の人生50年計画で「40代でひと勝負を賭け、50代で事業を完成させ、60代で後継者
に引き継ぐ」とあるように、60歳を超えた時点で、会社の出口(エクジット)戦略を真剣に
考えるべきです。
わが国の法人の99.7%は同族企業です。同族企業を日々支援する税理士としても、情と理の
バランスをどう取るかについて、いつも悩まされます。
その意味でも、この書籍はとても参考になると思います。
それでは本日の赤ペンチェックを見てみましょう。
▼娘の大塚久美子氏が社長として経営権を固めてからも、「謝恩セール」や
「売り尽くしセール」を打つと、大勢の人が開店前から行列した。
テレビでもお馴染みとなった美人社長をひと目見ようという、にわか久美子
ファンまで誕生。もちろん、騒動前に比べて、がぜんメディアの関心も高まった。
騒動は決してマイナスに作用しなかったのだ。
▼「誰が得をしたのか」という問いに対する答えは何なのだろう。いまだに紛争は
くすぶっているので、最終的な答えが出たわけではない。だが、現段階では、騒動の
一方の当事者だった創業者の勝久氏が最も得をした人物であることは間違いない。
勝久氏が持っていた発行済みの株式の18.04%、350万株の株式の時価総額は、
騒動前にはざっと35億円だったが、対立の中で配当を一気に引き上げたこともあり、
久美子氏が総会で信任された段階では1.6倍となっていた。時価総額が21億円も
増えたのである。
しかも、保有していた株式のうち133万株余りを売却、20億円以上の現金を
手にしたと見られている。創業者が経営陣にとどまっている間は、株を売却することは
難しい。それが娘と対立したことによって、堂々と売却して、保有株を現金化する
ことができたのだ。
また、その資金を元手に新会社「匠大塚」を創設、2016年4月にショールームをオープン。
新事業にも着手することができた。匠大塚は非公開企業だから、まさに「家業」にもう一度、
思う存分取り組むことができるようになったわけだ。
▼一方の久美子氏はどうだったか。直接はほとんど株式を保有していないが、兄弟姉妹で
持つ資産管理会社ききょう企画は大塚家具株の10%を持ち、その資産価値は大きく膨らんだ。
また、ききょう企画に毎年入る配当も大きく増えた。つまり、久美子氏はコーポレートガバナンス
の「理」を説いたが、その結果、当然のことながら大株主である父親や一族の資産管理会社に
大きく貢献していたのだ。
▼家族が経営に関与する「ファミリービジネス」が多い欧州でも、さんざん経営権を巡る
一族間の争いが繰り返されてきたが、そこでも、年上の長女と年下の長男の争いが少なくない。
しかも大塚家の五人の兄弟姉妹は男が二人、女が三人という構成である。そもそも次は誰が
跡継ぎとなるのか「紛争」になる素地は初めからあったのである。
日本では今や、急速に進んだ少子化の結果、長男にだけ後を継がせるなどということが
現実問題として不可能になった。女の子ひとりしかおらず、男の子を探しても一族にはいない、
という家がたくさんあるのだ。また、子供が男女一人ずついたとしても、平等に育てるのが
普通になり、男の子だからといって特別扱いするケースも減った。実際、昔からの商家でも
娘さんが家を継いでいる例は枚挙にいとまがない。
それぐらい少子化という現実問題の進展で社会風土が変わっているのである。この社会の
ムードの変化が、大塚家具で父娘が激突する株主総会で大きな意味を持ってくる。
▼「久美子さんは、宣伝広告費を使わなければそのま利益になると考えているようです。
広告宣伝費を減らせば、来客数が減って、売り上げも落ちていく。私は2008年3月いっぱいで
一度取締役を退任しています。その時、戻ってきた久美子さんは、それまで1000万枚の
チラシを配っていたものを、一気に5%にまで減らした。その結果、来客件数、受注も
売り上げも減った。それが数年続いた結果が今なのです。会長は繰り返し、『広告宣伝は
無駄にならない、広告宣伝によってお客さんが店に足を運んでもらえれば、かならず買うもの
が見つかる店なのだから』と行っています」
▼この業績の評価については、勝久氏・勝之氏の認識と、久美子氏の 認識は完全に対立していた。
売り上げを減らしたと勝久氏が非難したのに対して、むしろ利益を回復させたと久美子氏は
主張した。
▼創業者と後継者の役割
「創業者のリーダーシップというのは非常に強い、ある種のカリスマ性を持って会社を
引っ張っていくわけです。これは、その人独自の特別な能力です。で、その能力を十全に
生かすための組織とか、人のあり方というのがつくられていきます。創業者が引っ張って
いくために一番効率よく引っ張れる組織というのがつくられていくんですけれども、では
次に創業者がいなくなった時にどうなるか、と。
同じような人を探すっていうことはほとんど不可能です。極めて稀な才能を持った人が
創業者として成功するわけですから、同じことはできない。で、その時に、会社が本当に
動かせる状態になっているかどうか。強力なカリスマ性を持ったリーダーがいない会社で、
瓦解してしまってはいけないわけですね。ですから、そのシフトの過程では、頭が代わる
だけではダメで、組織全体が少しずつ変わっていくということが必要になります。
その時間をどうとるのかということが会社の運命を左右することになると思います。
そういう意味で、私がこの5年から10年の間に一番考えなければいけないことは、その
転換というのをいかにスムーズにやっていくかということです。
▼確かに会社を興す「起業家」と、それを継承し発展させる「二代目」の素養はまったく
異なる。だからこそ初代から二代目へのバトンタッチは難しいのだ。
▼必ずどの会社にも創業者はいる。一番難しい継承は一代目から二代目。
一代目は経営者でなくて、起業家であるからこそ、うまくいく部分もある。
その起業家としてのスピリットを活かしたいというところが定着しているアメリカみたいな
ところだと、会社がある程度成長する企業に売って、また起業するというケースもある。
でも、日本の場合は、多くの企業が高度成長期で成長し、上場して拡大し、経営者に
なろうとする。創業者の仕事のしやすい組織のあり方と通常の経営者がやりやすい組織の
あり方とは違う。なので、そこの移行は全社を挙げてマインドセットしなければ、難しい。
その継承をうまくスムーズにもっていけるとすれば、創業者の事情もわかり、通常の一般の
会社経営がわかる存在がいると便利だと思う。私がたまたまそういう立場にいたので、
置かれた立場として無視したくないという気持ちがある。
▼創業者と継承者の資質は別
継承者がきちんと育たないのには、創業者自身の責任も大きい。ギリギリまで跡継ぎを
決めないのである。
これは、創業者のひとつの性かもしれない。いつまでも自分が全権を握っていたいので
ある。いや、自分が作った会社なので、自分以外に運営できる人間はいない、と心の底
から思っているのだ。それが創業者というものだろう。
▼流通大手ダイエーの創業者で、小さな小売店一代で一兆円企業にまで育て上げた
中内功氏 は、ある時期まで子供には会社を継がせないと公言していた。
1982年にはヤマハ(日本楽器製造)の社長だった河島博氏を副社長に迎え、業績の
立て直しを託した。河島氏に社長を譲るのではないかとみる向きもあった。
ところが、87年に、河島氏を破綻したリッカーの管財人社長に異動させてしう。
代わりに代表取締役副社長になったのは功氏の長男、潤氏でわずか33歳だった。
この段階で、功氏は、「ジュニア」と呼ばれた潤氏を本気で後継者にしようと
したのだ、とされている。
一般論として、人間は老いると血縁関係のある身近な人しか信用しなくなる。
猜疑心が強くなるのだ。功氏の場合も、優秀な他人よりも、実の子を信用する
ようになったのは明らかだった。功氏は1922年生まれだから、当時65歳である。
潤氏は89年にダイエーの次世代戦略店とされていた「ハイパーマート」の経営を
全面的に任されている。実績をつくらせることで後継者として世の中に認知させ
ようとしたのだと見られている。
その一方で、実績のある役員は疎んじられ、ベテラン社員は次々と辞めていった。
河島氏を外したのも、業績のV字回復で河島氏に社内の人望が集まるのを避けた
ためと言われている。
バブルの崩壊と共にダイエーの最盛期は終わり、その後、断末魔に陥っていった。
99年功氏は社長を退任、経営の一線から外れるが、その後、ダイエーは2004年
になって産業再生機構による再生を委ねられる。
その結果、中内家はその年の12月にマルナカ興産などの資産管理会社を特別清算。
ダイエー株も、神戸・芦屋と東京・田園調布の豪邸も失うことになった。
失意の中、功氏は05年9月に死去する。享年83歳。創業者として一大企業を
つくり上げ、そして最後は壊していった激動の人生だった。
今、ダイエーはイオンの完全子会社になっている。
▼創業者が権力を保つ秘訣は株主権強化
跡継ぎを選ぶルールや育て方を決めたら、次は創業者の力を残すための制度作りである。
これは社長としてではなく、大株主としての権利を大きくすることだ。
コーポレートガバナンスの強化は株主権の強化だと言われ、経営者には嫌われがちだが、
オーナー経営者はたいがい大株主なので、コーポレートガバナンスの強化は自らの
権力基盤の強化につながる。
京都のオーナー系企業がコーポレートガバナンスに前向きに対応しているケースが多い
のは、創業家から見れば好都合な制度だからともいえる。
株主の力でいつでも社長のクビが切れるとすれば、一族かどうかに関係なく一番優秀な
人材を社長に据えることができる。
▼経済的な利益とポストを分ける
創業者で後継社長のポストを争うのも、社長にならなければ経済的な利益を得られないからだ。
実はここにも大きなポイントがある。創業家の経済的な利益と会社のポストを切り分けることだ。
所有と経営の分離ということも可能だが、創業家は株主として行動し、一切経営にはノータッチ
という意味での「分離」ではない。役割分担と言った方が正しいだろう。
株式を売却することが基本的にない創業家にとって、短期的な株価の上下は意味がない。
長期にわたって株価が上昇してくれなければ困るのだ。それには会社が成長する必要がある。
有能な経営者を外部から招いて会社の業績を上げられるのならば、それも辞さないと考える
のが真のオーナーだ。
また創業家としては一定の配当収入を得る必要がある。その配当収入によって生活の基盤とする
人も創業家の中には出てくるからだ。
一方で、日本のように相続税が高い国では、一族が個人として株式を持っていると、相続の際に
一部を売却しなければ相続税が払えないという事態に直面する。そうなれば株式は散逸し、
創業一族の 力の源泉である持ち株の比率はどんどん低下していくことになる。
そうなれば、当然、株主としての権利は弱くなり、経営に対する注文も受け入れられなくなってくる。
つまり、一族がまとまって資産管理会社などをつくり、共同で一族の利益を最大化するように行動
する必要がでてくるのだ。
今日も社長業を楽しみましょう。